ないものねだり

主に不妊治療について個人的な想いをつづるブログです。

最後の移植が三日後

一回目の採卵で半分自然受精、半分顕微授精して、自然に受精せず、顕微授精が3つしか成功しなくて、その三回ともの移殖で妊娠せず。

 

今回二回目の採卵では、一回目よりいろいろうまくいかなくて、こんなのもうしたくない、少しでも今回ので多く移殖したい、と願っていたら、8個とれた卵子をすべて顕微授精してたった2つしか育たなかった。

たった2つ…こんなに辛くて、こんなにお金払って、たった2つ…という絶望感にめちゃくちゃ沈んだ。

一回目の採卵・移殖の時は「妊娠できるかも」と望みの方が大きかったのに、さすがにまったく妊娠する気配もなかったことで、今回は「たぶん無理だろう」という気持ちしかなかった。

移殖する前から、どん底に沈んで沈んで卑屈になって泣いて泣いて、養子縁組のことを調べたり…

そして、今回の二回の移殖がだめだったら、もう不妊治療はやめよう・やめたい、というところに行きあたったときに、初めて心が軽くなった。

それくらい辛かった。自分が自分でコントロールできない辛さ。旦那に対する持たなくていい不信感や失っていく思いやり。劣等感とか惨めさとか。

世界で一番自分が不幸だという主観的感覚から抜け出れない。

 

でももうこんな辛いことしなくていいんだと思ったら、不妊治療をもうしたくないという気持ちにどんどん傾いていった。

もともと、この先治療ができなくなる40歳過ぎまでの間、お金も時間もずっとこれにつぎ込んで、辛さにずっとみを投じていくのか、ということに疑問をもっていた。

そして一回目の移殖は、やっぱり妊娠しなかった。

前回の採卵・移殖3回目の時に陰性を言われて打ちのめされて、診察室で動揺を隠すのに必死になったから、もうそういうの嫌だった。先生にも看護師さんにも気を遣わせたくなくて。それが自分なりのプライドなんだろうと思う。

だから今回は病院行く前に自分で検査して、それで陰性なのを知ってたから、診察の時は冷静に受け止められた。そしてつい「実はフライングしたので知ってました」と言うと、帰り際に、「何の根拠もないけど、先に検査してると妊娠してないことが多いです。なんの根拠もないけどね」って先生に言われた。

「はぁ…」としか言いようがなかった。気に障ったんだろうなと思ったけど、私にとってはこの結果が人生を左右するけど、お前にはただの医者のプライドに障るくらいの出来事じゃないのか、という心の底を這うような怒りがわいてきた。

時々ある医者のこういう発言が、余計に私の不妊治療に対する拒絶反応を増長しているとは思う。

でも医者を変えたところで、何度子宮に戻しても妊娠しない私の体では無理なのだろうと思う。現代医療の限界で、もしかしたらもう10年後、私のような人も無事妊娠できるくらいに医療が発展しているかもしれないけど、その時私はもう47歳だから無理だね。

 

話は飛ぶけど、私は結婚して二年くらいの時に、家族のことでどん底に落ち込んだことがあった。一時期は旦那さえ信じられなくなって、その時自分がそこまで重症だということに気づかずに無理に頑張りすぎたせいで、なんとか仕事にいくだけで、帰ると布団にもぐったまま出てこれないという日々が長く続いた。

完全に復活するには数年かかった。近年ようやく私はその話をしなくなった。

その時に、傷ついている自分をきちんと自分で受け入れて、落ち込むときに落ち込んでおかないと後で大変なことになると心底思った。本当に辛かった。

 

今回の不妊治療での辛さは、自分の気持ちを否定せずに向き合ってきたと思う。一回でも妊娠すれば、もし経過がうまくいかなかったとしても、もう少しやってみようと思ったかもしれない。でも全く感触がない。無理なこともあるよね、人生。

私にとっては、この辛さは自分の人格をゆがめてしまうくらいの辛さだった。このまま続ければ陰性のたびに自分の価値を見失う気がした。

 

それよりも、治療をしないという選択をしたい。これから治療に費やすはずだった時間とお金と心を、もっと違うことに使っていきたい、そう思った。

 

そして今は次の課題。

子供がいない人生を生きる自分が、子供のいる人より幸せだと証明したいという欲求と向き合わなくてはいけないみたいだ。

先日旦那とご飯を食べている時、これからの自分の生き方について話していたら、「人からどう見えるかを気にしているのは馬鹿らしい」というような主旨のことを言われて、悔しくて涙が出た。図星だったから。

うちの旦那はよく不妊治療している人のブログに出てくるような協力的で優しい旦那じゃない。嫌なこともそうだと思えば正直に言ってくる。私のズルさを必ず見抜く。

でも不妊について一言も私を責めたことはないし、私が旦那に申し訳なく思うような発言も態度も一切ない。だから不思議なくらい旦那に対して気兼ねをする気持ちが生まれてない。私だけがただ辛くなったら旦那を責めるばかりだ。ごめんね…。

そういうわけで、どんな時も結局女は女に対して敵対心や劣等感を持つものなんだね。

誰かに不妊のことを話すとき、どうしても「自分は不幸じゃないよ」というアピールをしてしまうのは、そのせいかもしれない。

子供のいる人のマイナス点ばっかり探すのやめよう。

自分は自分。

 

ひとつはっきりしていることは、子供がうんぬんよりも、この世の他のなによりも、旦那と寄り添って仲良く幸せでいることが私の人生で一番大事。

不妊治療でそれが確かめられなかったり、傷つけたりすることも、もう治療をやめたいと思った大きな理由。

 

 

明後日、これで最後だという気持ちで臨む移殖。

年内に決着つけて、来年を迎えたい。