ないものねだり

主に不妊治療について個人的な想いをつづるブログです。

2017年11月27日に

胚移殖の予定だったけど、

時間に診察室へ行ったら、

「5時間前から解凍しているけど、うまくいかなくて、このまま子宮に戻しては詐欺のような状況だから、できない」と言われた。

要は最後の受精卵は死んでしまったということだと理解した。

 

訊いた時は本当に驚いて、そして「ああ、こんなこともあるんだな。私たちの赤ちゃんはやっぱり育たないんだな…」と、妙にすんなり諦めの気持ちになった。

 

それから先生に今後はどうするかという話をされ、「正直にいうと、今後続けても難しいかもしれない。妊娠できないとは言わないけど、できるとも言えない」というような内容のことを言われた。

 

私も「そうですよね。だって一回も妊娠しないですもんね。今回に限っては全部を顕微授精したのに、たった一個しか胚移殖できなかったし。これでもう治療はやめます」

と返事をした。

 

時間給をとって治療に来ていたため、仕事にまた戻らなくてはいけなくて、職場へ行き、誰が来るかもしれない控室で無性に悲しくなって涙を押し殺して泣いた。

泣きはらした顔になるわけにはいかないので、とにかく噛み殺したけど、少ししたらまた泣けてくる。

旦那にメールで「○○くんの子供を産んであげられなくてごめんね」と打った。

それから母親にもメールを作りかけて、途中で消した。涙が止まらなくなってきたので。

 

それから、もう一回だけ、もう一回だけ採卵してみようか…っていう思いが巡った。もうこれで治療はやめると決めていたのに、諦めの悪い気持ちが湧き上がってきた。

でも、またあの治療している時の辛い気持ちの穴に落ち込むのかと思ったら、それだけで嫌だった。

採卵の痛みもトラウマみたいになってる。

ロング法じゃない方法ならどうなんだろうか。でも今の病院ではロング法以外はしないから、他の方法をしたかったら他の病院に行ってもらうしかないと以前言われたことがある。

お金も正直きつい。治療以外なんにもできない。

やっぱりこれで諦めよう。子供のいない人生になるならそれはそれで、そっちを楽しむ方向だけを向いて生きていこう。

 

仕事を終えて帰宅して。最近では不妊治療の話をすると私が感情的になって怒るか泣くかしかしないので、旦那は極力その話をしたがらなくなったけど、こんな結果になっても同じみたいで。

でも事前に今回の移殖がダメならもう治療はやめたいと話していたからそのつもりでいるんだろうなと勝手に思ってたら、「今決めないといけないのか。(治療が)やれる間はやったらいいんじゃないか」と言われて驚いた。

「お前のいいようにすればいい」が口癖みたいだったくせに、その短い言葉の中で、この人はやっぱり実子が欲しいんだな、諦めきれないんだな、と思った。

そう思うと可哀想になってきて、もう一回頑張るべきなのかまた迷い始めた。

 

現在も迷っている。

でも結果は同じような気がしているし、あんなに生命力のない受精卵でなんとか妊娠しても無事育つのか、流産や、障害のある子どもが生まれる可能性は…とかも考えてしまう。

なんせ私たちの受精卵は弱いみたいだから。

出産までが治療のゴールだと考えると、そこに無事にたどり着くのは奇跡だと思える。

ああ、先生の言うように、もっと若いころに体外受精していればよかった。結婚して一年目の27歳の頃にはもう両卵管がつまっているとわかっていたのに。その後悔は今になって時々激しく襲ってくる。どうにもならない後悔。どうにもならない。10年後の今では。

もっと簡単に妊娠できると思っていた。卵管がつまっているだけで他はどうもないだろうと思っていた。一番最悪な事態にまさか自分が陥るとは夢にも思わなかった。今では夢にも思わなかったことが不思議でしょうがない。馬鹿かあたしは。大ばか者だ。

 

子供のいない人生ってどうなんだろうか。なんでこんなに怖いんだろうか。

こないだドラマで「子供を持つと心が豊かになります」と言っていたけど、じゃあ子供がいない人は豊かにはなれないのかな。

豊かってなに?確かに子供がいない私は、時々子供連れで店に来ている人にイライラするけどね。もう少し静かにさせろよとかね。そういう意味じゃない?

世の中にはこういう定番の価値観が出回ってるけど、けっこうそういうの辛いときあるよね。

 

ここまで不妊で辛い思いをしながら考えついたのは、実子じゃなくても私は愛せるだろうということ。

妊娠したくても妊娠できない。それなら究極、妊娠できなくてもいい。私は妊娠したい以上に、旦那と子育てをして一緒に生きていく家族を増やしたい。

それなら親がいない子が、子供をつくれない私たち夫婦のところに来てくれたら、それも運命だろうと思う。

養子についても一時期旦那といろいろ話して、選択肢の一つとしてあってもいいと私は思っている。でも調べてみても、行政でもその他でも、厳しいよね。まずどちらかが仕事していない状態じゃないと無理みたいだし。条件いろいろ厳しいよ。あたりまえだけどね。

だから本当、選択肢としてなくさない程度のことで、そうしよう!というほど強いものではない。でも完全にそっちの選択肢もなし、となると、なんか未来が真っ暗になる気がするから今は置いておきたい。

 

なんにしても、もう不妊治療について考えないで生きていきたい。それが一番本音。

 

ここに書くことで、少しでも感情をアウトプットして、整理していきたい。

 

 

 

 

最後の移植が三日後

一回目の採卵で半分自然受精、半分顕微授精して、自然に受精せず、顕微授精が3つしか成功しなくて、その三回ともの移殖で妊娠せず。

 

今回二回目の採卵では、一回目よりいろいろうまくいかなくて、こんなのもうしたくない、少しでも今回ので多く移殖したい、と願っていたら、8個とれた卵子をすべて顕微授精してたった2つしか育たなかった。

たった2つ…こんなに辛くて、こんなにお金払って、たった2つ…という絶望感にめちゃくちゃ沈んだ。

一回目の採卵・移殖の時は「妊娠できるかも」と望みの方が大きかったのに、さすがにまったく妊娠する気配もなかったことで、今回は「たぶん無理だろう」という気持ちしかなかった。

移殖する前から、どん底に沈んで沈んで卑屈になって泣いて泣いて、養子縁組のことを調べたり…

そして、今回の二回の移殖がだめだったら、もう不妊治療はやめよう・やめたい、というところに行きあたったときに、初めて心が軽くなった。

それくらい辛かった。自分が自分でコントロールできない辛さ。旦那に対する持たなくていい不信感や失っていく思いやり。劣等感とか惨めさとか。

世界で一番自分が不幸だという主観的感覚から抜け出れない。

 

でももうこんな辛いことしなくていいんだと思ったら、不妊治療をもうしたくないという気持ちにどんどん傾いていった。

もともと、この先治療ができなくなる40歳過ぎまでの間、お金も時間もずっとこれにつぎ込んで、辛さにずっとみを投じていくのか、ということに疑問をもっていた。

そして一回目の移殖は、やっぱり妊娠しなかった。

前回の採卵・移殖3回目の時に陰性を言われて打ちのめされて、診察室で動揺を隠すのに必死になったから、もうそういうの嫌だった。先生にも看護師さんにも気を遣わせたくなくて。それが自分なりのプライドなんだろうと思う。

だから今回は病院行く前に自分で検査して、それで陰性なのを知ってたから、診察の時は冷静に受け止められた。そしてつい「実はフライングしたので知ってました」と言うと、帰り際に、「何の根拠もないけど、先に検査してると妊娠してないことが多いです。なんの根拠もないけどね」って先生に言われた。

「はぁ…」としか言いようがなかった。気に障ったんだろうなと思ったけど、私にとってはこの結果が人生を左右するけど、お前にはただの医者のプライドに障るくらいの出来事じゃないのか、という心の底を這うような怒りがわいてきた。

時々ある医者のこういう発言が、余計に私の不妊治療に対する拒絶反応を増長しているとは思う。

でも医者を変えたところで、何度子宮に戻しても妊娠しない私の体では無理なのだろうと思う。現代医療の限界で、もしかしたらもう10年後、私のような人も無事妊娠できるくらいに医療が発展しているかもしれないけど、その時私はもう47歳だから無理だね。

 

話は飛ぶけど、私は結婚して二年くらいの時に、家族のことでどん底に落ち込んだことがあった。一時期は旦那さえ信じられなくなって、その時自分がそこまで重症だということに気づかずに無理に頑張りすぎたせいで、なんとか仕事にいくだけで、帰ると布団にもぐったまま出てこれないという日々が長く続いた。

完全に復活するには数年かかった。近年ようやく私はその話をしなくなった。

その時に、傷ついている自分をきちんと自分で受け入れて、落ち込むときに落ち込んでおかないと後で大変なことになると心底思った。本当に辛かった。

 

今回の不妊治療での辛さは、自分の気持ちを否定せずに向き合ってきたと思う。一回でも妊娠すれば、もし経過がうまくいかなかったとしても、もう少しやってみようと思ったかもしれない。でも全く感触がない。無理なこともあるよね、人生。

私にとっては、この辛さは自分の人格をゆがめてしまうくらいの辛さだった。このまま続ければ陰性のたびに自分の価値を見失う気がした。

 

それよりも、治療をしないという選択をしたい。これから治療に費やすはずだった時間とお金と心を、もっと違うことに使っていきたい、そう思った。

 

そして今は次の課題。

子供がいない人生を生きる自分が、子供のいる人より幸せだと証明したいという欲求と向き合わなくてはいけないみたいだ。

先日旦那とご飯を食べている時、これからの自分の生き方について話していたら、「人からどう見えるかを気にしているのは馬鹿らしい」というような主旨のことを言われて、悔しくて涙が出た。図星だったから。

うちの旦那はよく不妊治療している人のブログに出てくるような協力的で優しい旦那じゃない。嫌なこともそうだと思えば正直に言ってくる。私のズルさを必ず見抜く。

でも不妊について一言も私を責めたことはないし、私が旦那に申し訳なく思うような発言も態度も一切ない。だから不思議なくらい旦那に対して気兼ねをする気持ちが生まれてない。私だけがただ辛くなったら旦那を責めるばかりだ。ごめんね…。

そういうわけで、どんな時も結局女は女に対して敵対心や劣等感を持つものなんだね。

誰かに不妊のことを話すとき、どうしても「自分は不幸じゃないよ」というアピールをしてしまうのは、そのせいかもしれない。

子供のいる人のマイナス点ばっかり探すのやめよう。

自分は自分。

 

ひとつはっきりしていることは、子供がうんぬんよりも、この世の他のなによりも、旦那と寄り添って仲良く幸せでいることが私の人生で一番大事。

不妊治療でそれが確かめられなかったり、傷つけたりすることも、もう治療をやめたいと思った大きな理由。

 

 

明後日、これで最後だという気持ちで臨む移殖。

年内に決着つけて、来年を迎えたい。

 

 

 

 

思うままに

現在37歳。

旦那とは付き合って6年、結婚して11年目。

卵管がほぼつまってるってわかったのは結婚して一年目くらい。まさか自分がと思った。

昨年から体外受精を始めて実らず。自然に受精もしないし、顕微授精で子宮内に戻しても三回とも妊娠しなかった。

二回目の採卵にトライしようとして、まさかの一回目の時と同じ薬なのに副作用が激しくて中止。

9月にそれらの薬を使わないで採卵予定。

最後の受精卵で妊娠しなかった時に、「難しいかもしれない。これからも、頑張れば必ず実るというものではない。どれだけやってもダメだということもある。こういうこともあるから、少しでも若いうちにやっておくべきなんだ」と先生に言われた。

少しでもわかいうちにと今さら言われても、どうやっても月日だけは戻らない。

 

結婚したのは26歳だから、まぁ普通の適齢期。

私より結婚は後だった友人や後輩は、一人残らずみんな妊娠出産してて、最初こそあった追い抜かれる辛さも、なんとなく慣れてくる。

 

でも、不妊治療で陰性を告げられた後の落ち込みや辛さは、本当にどん底になる。

自分でもおかしいくらいどん底

そしてどん底にならないと上昇できない。

三回妊娠しなかった時に先生に言われた言葉で、自分は子供のいない人生になるかもしれないとぼんやり覚悟した。

それは卑屈で思ったんじゃなくて、そういう人生も視野に入れていかないといけないなと思ったという意味。

 

でも毎回思う。

なにがこんなに辛いんだろうって。

子供ができないという事実が私に与える恐怖の正体って一体なんなんだろうと。

 

そういうことについて、思うことがあったら記録として書いていこうと思う。

自分の気持ちを整理したり、向き合ったりするために。